ペドフィリアとの戦い?

自民党の葉梨議員は、児童ポルノ単純所持規制に関する法務委員会の質疑で何度も「ペドフィリアとの戦い」と気勢を上げていました。質疑での発言から分かることは、葉梨議員は、ペドフィリア(=小児性愛者)の意味を分かっておらず、またその理解も乏しく、さらに性的マイノリティへの人権弾圧を欲望する、政治的に危険な人物であるということです。

ペドフィリアとは何か

葉梨議員は、質疑の中でこう言いました。「児童ポルノの本の横に成人女性のポルノ本があればそれはペドフィリアなのだから単純所持罪が適用できる。」


葉梨議員、そいつはペドフィリア小児性愛者)の一部か、あるいは全く別の性的嗜好者です。
心の臨床家のための精神医学ハンドブックの210ページにはこう書かれています。

小児性愛(pedophilia)――思春期前の一人、または複数の小児(13歳以下)との性行為に関する空想、衝動、行動の反復。患者は少なくとも16歳で、対象になる子どもより少なくとも5歳は年長であること。

小児性愛とは幼い小児と性的関係をもちたいという嗜好です。欧米社会では小児性愛は、16歳以上の人が、13歳未満の小児を空想上の性的対象または実際の性的行為の対象とすることと定義されています。小児性愛では、特定の年齢層や発達段階の小児だけに性的関心をもつ人もよくみられますが、中には小児にも成人にも関心をもつ人もいます。

小児性愛は、心理療法薬物療法によって性衝動を変える方法で治療が可能で、さまざまな成果が報告されています。本人が自発的に治療を受けに来る場合もありますが、犯罪を起こして逮捕され、法的処分を受けた後になって初めて治療を受けることもあります。投獄などの刑罰はたとえ長期間行われた場合でも、小児愛への願望や空想に変化をもたらすことはありません。

ジェンダーアイデンティティ - 10. 心の健康問題 - MSDマニュアル家庭版

小児性愛は精神医学上、性嗜好異常に分類され、社会的に不適合を起こす場合は治療の対象となるものです。本来彼らは、社会と折り合いをつけて生きていくための治療やカウンセリング等(ここでは便宜的に“適応行動”と呼ぶことにします。)を必要としているマイノリティであり、葉梨議員のようにその存在自体を悪とみなすような物言いをし、弾圧、投獄すべしと主張するのは、彼らの適応行動を妨げ、根本的な解決をより遠のかせることになるでしょう。
児童ポルノの単純所持を規制し、代償対象を妨げられた彼らが、どうせ投獄されるなら、あるいは既に投獄されたのだからと開き直り、実際の児童への性的暴行へ走らせる結果を招く可能性についても十分考慮に入れるべきだと思います。


ペドフィリアとの戦い」とは一体何なのか。小児性愛者を弾圧・投獄しても根本的な解決にはならないことは明らかになっています。ならば、彼らの社会への適応行動を促すような社会システムの整備こそが大事であり、葉梨議員のように、ペドフィリアであることを理由とした弾圧と投獄を声高に叫ぶのはナチスと何ら変わらないことは強く指摘したいと思います。


小児性愛と、成人女性への性的好奇心の延長線上にある、14〜18歳の女性への性的欲望は分けて扱うべきです。この二つは対処法も刑罰による抑止効果もまるで違うものになります。
その点をあえて混同したまま議論を進めようとする現在の国会の議論(これは自民・公明のみならず、民主党にも言えること。)に、私は強い危惧を覚えます。